研究者ストーリー
Storyアメリカで“研究の岐路”を乗り越え、
ナノテクノロジーを超える量子技術の新境地へ
加藤ナノ量子フォトニクス研究室 主任研究員加藤 雄一郎 Yuichiro Kato


“挑戦”を後押ししてくれた、恩師との出会い
「加藤ナノ量子フォトニクス研究室」を率いる、加藤雄一郎。単一のカーボンナノチューブや原子層物質を組み込んだデバイスを中心に、量子性を利用したナノ光デバイスを研究する。日本で生まれ、ニューヨークと香港で育ち、日本の大学を経てアメリカに渡り、博士課程とポスドク(博士研究員)を経験。アメリカの大学における研究テーマ選びでカーボンナノチューブと出会ったことが、研究者人生の礎となった。そんな加藤の研究人生のスタートのきっかけは、たまたま興味を持った“海外での研究生活”、そして指導教官との出会いだった。
幼少期から数学や理科が得意で、“新しいテクノロジー”も大好き。家にあったパソコンの説明書を読みながら、自分でプログラムを書いたりするような小学生でした。「パソコンってどうやって動いているんだろう」という疑問はずっとあって、高校も大学も、迷わず理系を選択。慶應義塾大学理工学部に進学し、当時新設されたばかりの物理情報工学科で、半導体について学びました。
大学3年生のある日、転機が訪れました。友人から借りたアメリカ留学に関する本を手に取ったのです。そこには、アメリカの大学院が学費面で魅力的であり、研究水準も極めて高いことが記されていました。この本をきっかけに、海外で研究することへの強いあこがれが芽生えます。「研究者になるなら、アメリカだ」と、心に決めた瞬間でした。ただ、実際にアメリカの大学院に進学できるかどうかは不安が残りました。留学するという方向性を決定づけたのは、のちに慶應義塾大学の塾長になった伊藤公平先生との出会いです。ちょうどこの頃、物理情報工学科の研究室説明会があり、伊藤先生にアメリカの大学院について尋ねてみたのです。すると、「入れるよ。僕もそうだったから」と。伊藤先生ご自身が慶應義塾大学を卒業後、アメリカの大学院に進み、博士号を取得されていたのです。アメリカの大学院で学んだ先生が目の前にいる。そのうえ、伊藤先生は「興味があるなら、ぜひうちの研究室に来なさい。推薦状も書いてあげる」と。伊藤先生のおかげで、アメリカの大学院が一気に現実的な目標になりました。大学院入試では、スタンフォード大学、MIT、そしてカリフォルニア大学バークレー校とサンタバーバラ校に合格。このうち、特に興味深い半導体研究を行っていて和気あいあいとした研究室を運営している教授の在籍するカリフォルニア大学サンタバーバラ校を選び、渡米しました。
ポスドクとして研究を続けていくための“分水嶺”

カリフォルニア大学サンタバーバラ校での博士課程では、半導体中の電子スピン制御をテーマに研究を行った。その後、スタンフォード大学ではポスドクとして研究を進めようとしたが、加藤は“岐路”に立たされた。
カリフォルニア大学サンタバーバラ校では、半導体量子構造や時間分解分光を駆使して研究を行い、電子スピンの電気的制御に関する新たな手法を実証しました。通常、電子スピンは磁界を用いて制御されますが、この研究により半導体中の電子スピンを電界で操作できることを示し、半導体スピン物性研究の新しい方向性を開拓することができました。
博士号取得後は、スタンフォード大学にポスドクとして在籍。そこで1年半ほど、カーボンナノチューブの研究に取り組みました。私がカーボンナノチューブの研究を始めた理由は、“新しい分野に飛び込み、研究の幅を広げること”が、アメリカでは推奨されているためです。研究室主宰者として独立し、研究キャリアを築いていくためには、博士課程の研究テーマを続けるよりも、新たな分野に挑戦するほうが、独自性を発揮するうえでメリットがあります。実際にアメリカでは、能力がある研究者が研究対象を大きく変更して、“研究の幅を広げる”というケースが多々見られました。
私がポスドクとして研究対象を変更した頃は、ちょうどカーボンナノチューブが“新たなナノ半導体材料”として注目されていた時期でした。カーボンナノチューブは単層のものが1993年に発見されていて、2003年には発光する品質のものができていました。“カーボンナノチューブには非常にユニークな物性があること”に着目し、幅広い分野への応用に期待を寄せ、スタンフォード大で、“カーボンナノチューブの電界発光”を研究することにしました。
カーボンナノチューブは、炭素原子が六角形の格子状に並んだ原子一層のシートであるグラフェンを、直径1ナノメートル程度に丸めたもの。チューブの巻き方によって、異なる物性を示すことが特徴です。ナノチューブの半導体としての性質もカイラリティ(巻き方・幾何構造)に大きく影響を受けるので、その多様性と個性により、電子デバイスや光学デバイスとしての広範な応用が期待できます。ところが、“巻き方”は無数にあるわけです。普通に合成をすると、だいたい30種類以上の異なる巻き方のものが混ざってできてしまいます。当時、“一本だけのカーボンナノチューブを使ったデバイス”の研究に取り組んでいましたが、その1本1本がどういう構造を持っているか、よくわからない状態で実験をすることになり、そこに大きな問題意識を持っていました。
研究過程で生じた課題を解決するため、“科学の基本”に立ち返る

カーボンナノチューブの研究を進めるにあたり、加藤は“研究が継続できる場”を探した。スタンフォード大学でのポスドク中、国立研究開発法人 科学技術振興機構の“さきがけ”研究者となり、さらに翌年、帰国して東京大学工学系研究科に研究室を構えた。加藤がそこで最初に取り組んだのは、研究を進めるにあたって解決しなければならないと感じた”ある課題”だった。
“さきがけ”研究者となったあと、東京大学の国際公募に応募し、2007年に研究室を開設することができました。最初の任期は5年間でしたが、延長を経て、最終的に9年間在籍しました。研究室での最初の課題は、ポスドク時代に芽生えた問題意識に基づくものでした。
カーボンナノチューブは、様々なカイラリティ(巻き方・幾何構造)が混ざった状態でしか合成できず、当時は純粋な一種類のカイラリティを持つナノチューブを手に入れることはできませんでした。さらに、材料として使用するカーボンナノチューブの半導体としての基本的なパラメーターであるバンドギャップ(エネルギーのギャップ)さえ、はっきりとわかっていないまま実験がなされるといった状況でした。そのため、当時の研究論文の多くは、バンドギャップや電子特性についての詳細な理解がないまま、「多分こうだろう」という仮定に基づいて進められたものが多かったのです。“わからないまま議論すること”に、あまり意味はないと考えました。カイラリティがどうであるかわかったうえで測定し、きちんと再現性がある実験をする――これは科学の基本中の基本です。しかし新しい物質が出てきた時は、再現性がなかなか得られなくても論文になってしまう場合もあります。「とにかく早く論文を出す」という、あまり健全とは言えない状態が、カーボンナノチューブの研究でも行われていました。
そこで、カイラリティがわかれば、理論と比較できるレベルの物理的なモデルを使って、実験結果が理解できるのはないか――と考え、これを目指して研究を進めました。そのために、フォトルミネッセンスの測定(物質が光を吸収したあとに再放出する光の現象を利用した測定)から巻き方がわかることを利用。現在では、チップ上のカーボンナノチューブの特性の測定を自動化することにより、「どこにどのカイラリティのカーボンナノチューブがあるか」というデータを自動収集することができるようになっています。このデータに基づき、自分の測りたいカイラリティのカーボンナノチューブを選んで測定することが可能に。これまでカイラリティ不明のまま行われていた実験を、素性のはっきりしたナノチューブであらためて実験することで、新たな結果が得られるようになったのです。
カーボンナノチューブから量子技術へ――理研をベースに後進育成にも尽力

フォトルミネッセンス測定を使ってカイラリティを識別し、特定のカイラリティを持つナノチューブを選び出す技術――「カイラリティ・オン・デマンド測定」という手法を開発した加藤。カイラリティは、カーボンナノチューブの電子的・光学的特性を大きく左右するため、特定のカイラリティを持つナノチューブを選択することは、デバイス設計や材料の特性を最適化するうえで非常に重要。フォトルミネッセンスの測定では、特定のカイラリティを持つナノチューブが示す光の吸収放出特性(波長や強度など)を利用して、ナノチューブのカイラリティを識別する。これを自動測定と組み合わせ、千本単位のナノチューブのデータベースを構築することで、狙ったカイラリティのナノチューブを測定対象とすることが可能となる。こうした手法を開発した加藤は、理研で、さらに次のステップへと進んでいる。
理研でも特定のカイラリティを持つカーボンナノチューブを選び出す技術を活用し、二次元材料などと組み合わせ、ナノデバイスの開発に活かす研究に重点を置いています。理研で始めた研究は、ナノテクノロジーの究極の姿である原子精度技術。原子レベルで精密な構造を持つデバイスの開発を目指しています。
例えば、半導体の微細加工技術は、1997年当時のインテルのCPUで使われていた90ナノメートルプロセスから、現在ではさらに進化を遂げています。すでに性能面では数ナノメートル相当となっていて、最新の技術ロードマップでは、20オングストローム(2ナノメートル)相当と、さらに小さな単位が登場しています。また、ナノ物質の化学合成技術も飛躍的に進歩しており、現在では約100個の原子からなる構造を精密に合成する手法が報告されています。これらの技術がさらに進歩することにより、好きな原子を好きな位置に配置して、精密なデバイス構造を作ることが可能になる時代が近づいています。そんなレベルの技術が一般化されたなら、“量子技術を日常的に手軽に活用する”といった時代が、もしかしたらやってくるかもしれません。「その先で、いったい何が起きるのか?」と想像するのも、SF的ですが、面白い。いずれにしても、量子技術を身近に感じられる未来は、現実味を帯びてきていると思います。
私が研究と同時にもう一つ、理研で力を入れていることがあります。それは、若手研究者である後進の育成です。日米両国で活動してきた自分だからこそ、“海外留学経験が研究キャリアに活きる”ということを、実感を持って彼らに伝えられるのではないか……そう考えて、個人のWebサイトで、研究者を目指す学生のための留学ノウハウなどの情報発信をしています。海外留学は、研究の発展はもちろんですが、世界中の大学や研究機関に仲間ができるという喜びも得られます。ですから、若手研究者には臆せず留学経験をしてもらいたいと思うのです。
私たち研究者にとって、“研究者として生きていくことの魅力”は、“自由度の高さ”です。研究方針も働き方も自分の裁量で決められますし、国際的な研究者コミュニティとの交流も、自らが求めれば自在に広げていくことができます。しかしそうした“研究者=自由”を手に入れるには、常に新しいことを行い続けなければなりません。研究者は、“同じことの繰り返しでは通用しない”ということです。新しいことを学び、追求することを“楽しい”と思えるか――それが研究者にとって最も大切なことです。そうしたことも後進の方々に伝え、研究することの面白さを共に謳歌していきたいです。
(文中敬称略)